「マウリツィオ・ポリーニ」

イタリア、ミラノ出身のピアニストです。現役のピアニスト中、最も高い評価を受けているひとりと言われています。

 

40年以上にわたり、世界中の主要ホールで演奏を繰り広げ、あらゆる有名指揮者やオーケストラと共演してきました。数々の国際的な賞を受賞し、2010年には日本で高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。

 

ポリーニのレパートリーはJ.S.バッハから現代作曲家にわたり、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏は、世界各地で行われました。
録音も数多く、最新は2012年1月には3枚組のベスト盤「ザ・アート・オブ・マウリツィオ・ポリーニ」がドイツ・グラモフォンからリリースされています。

「クリスティアン・ツィマーマン」

ポーランドのピアニストで、現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けている1人です。

 

ショパンと同じポーランド生まれでもあるツィマーマンは、1975年に18歳にしてショパンコンクールにおいてほぼ満場一致で優勝しました。

 

若さと優等生的な清純派ピアニストという印象が先行した時期もありましたが、1978年に録音されたショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番にはそうした彼の天分が如何なく発揮されており、現在でもこの見事な演奏は代表的名盤として輝いています。

「ウラディミール・ホロビッツ」

ウクライナ生まれのアメリカのピアニストで、1989年に死去しています。
妻の父は名指揮者として知られるアルトゥーロ・トスカニーニです。

 

1920年には初のピアノリサイタルを開催、ソ連国内でのツアーを開始しています。アメリカデビューは1928年で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏しました。

 

指揮者のテンポに反して次第にテンポを上げ、オーケストラをリードし、最終楽章でのコーダは圧倒的な加速で演奏を終了したのです。演奏後は割れんばかりの喝さいを浴びたといいます。

 

1983年の初来日の演奏では、健康を害しており思ったような演奏ができなかったことを気にしていたホロヴィッツは1986年に再来日しています。

「ラザール・ベルマン」

旧ソ連出身のロシア人ピアニストとして活躍しています。
母アンナがピアニストだったことから、すでに3歳でコンクールに参加、4歳で最初の演奏会を行いました。

 

7歳のときにはまだ、楽譜が読めないのにもかかわらず、モーツァルトの幻想曲と自作のマズルカを録音し、エミール・ギレリスから「音楽界の神童」と呼ばれました。

 

10歳でモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演、1951年のベルリン国際青少年音楽祭と1956年のブタペスト国際音楽コンクールで優勝しました。1975年にアメリカへの演奏旅行を行うことで、一気に世界的に有名になりました。

 

ソ連当局の軋轢で西側諸国での演奏は実現することが難しく、活動が制約されていた時代がありましたが、1990年にはイタリアに移住、1995年にはフィレンツェに定住しました。

 

ベルマンの「超絶技巧練習曲」は、嵐の練習曲、恐怖の練習曲といわれ、これを弾きこなせる者は世界中探しても10人ほどであろうとまで言われています。

「マルタ・アルゲリッチ」

アルゼンチン、ブエノスアイレス出身のピアニスト「マルタ・アルゲリッチ」は、世界のクラシック音楽界で高い評価を受けている1人です。
5歳からヴィンチェンツォ・スカラムッツァに師事し、8歳でモーツァルトとベートーベンのピアノ協奏曲でデビューしたという神童ぶりは当時の話題となりました。

 

1965年のショパン国際コンクールでの優勝が、世界的な評価を決定的なものにしました。以来、世界的トップ・ピアニストとして活躍を続けています。1994年から大分県別府ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督に就任。大分県より外国人名誉県民証を贈られました。

「辻井信行」

2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにおいて、日本人として初優勝した、「辻井信行」さんのことは知らない人はいないほど有名です。

 

原因不明の目の病気で、生まれたときから視覚が全くありませんが、ピアニストとして活躍しています。
1995年には7歳で全日本盲学生音楽コンクール楽器部門ピアノ部で第一位を受賞、10歳で三枝成彰スペシャルコンサートでは大阪センチュリー交響楽団と共演したことでも有名です。